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無条件に徹底する

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 臨済宗円覚寺派大本山円覚寺の横田南嶺管長が毎朝、You Tubeにて「毎日の管長日記と呼吸瞑想」を配信されています。2024年7月6日の配信は、夢窓国師のお話でした。  その話の中で、講談社学術文庫『 夢中問答 』にある文書を川瀬一馬先生が現代語訳されたものを引用されていました。 「問。自分自身がもし煩悩から離脱しなければ、他人を悟りに導くこともできない。 それなのに自身をさしおいて、先ず第一に衆生のために善根を修めるというのは、理屈が通らないのではないか。  答。 衆生が生死の迷いに沈んでいるのは、我が身にとらわれて、自分のために名利を求めて、種々の罪業を作るからだ。  それ故に、ただ自分の身を忘れて、衆生を益する心を発せば、大慈悲が心のうちにきざして、仏心と暗々に出会うために、自身のためにと言って善根を修めなくとも、限りない善根が自然によくそなわり、自身のために仏道を求めないけれども、仏道は速やかに成就する。  それに反して、自身のためばかりに俗を離れようと願う者は、狭い小乗の心がけであるから、たとい無量の善根を修めたとしても、自分自身の成仏さえもかなわない」  そして次に三種の慈悲について同じ文献から引用されています。   「慈悲に三種ある。  一つには衆生縁の慈悲。二つには法縁の慈悲。三つには無縁の慈悲である。   衆生縁の慈悲 と言うのは、眼前に生死の苦に迷っている衆生がいるのを見て、これを導いて世俗の煩悩から離脱させようとする慈悲で、これは小乗の菩薩の程度の慈悲である。 自身ばかり離脱を求める声聞・縁覚二乗の考えにはまさってはいるが、まだ世間の迷いの世界を断ち切れない考え方に陥っていて、他に功徳を及ぼそうとする相を残しているが故に、真実の慈悲ではない。 「維摩経」の中に、眼前の姿に心を引かれる大悲だとそしっているのは、これである。    法縁の慈悲 と言うのは、因縁によって生じたありとあらゆるものは、有情非情すべて皆、幻に現われたものと同じだと見通して、幻のごとき一切の無実を救おうとの大悲を発し、如幻の教えを説いて、如幻の衆生を救い導く。 これがすなわち、大乗の立場にある菩薩の慈悲である。 しかしながら、かような慈悲は、目の前にある姿に捉われる心から離れて、眼前の姿に心を引かれた大悲とは異なっているが、なおも如幻の相を残しているが故に...

スイスからのお客様

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スイスの空手クラブで指導をされているスイス人のご夫婦が私たちの道場の稽古に体験にいらっしゃいました。 毎回ですが、海外から来る空手家をお迎えする際に、日々、研鑽を積み重ねている方々に、どんな体験や情報が提供できるか、深く考えてしまいます。 海外(異文化圏)の方々が訪問してきた際に、ウチナーンチュとして、沖縄の空手人として、どうするべきか悩んでしまいます。 海外から来られる方のほうが、空手発祥の地である沖縄で空手の稽古をしている我々よりも、沖縄の歴史や空手の大家の先生方をよく知ってることがあります。 わざわざ、沖縄まで来ていただいているが、彼らにとって学ぶべきことはなにもないのではないかと思ってしまいます。 しかし、今回、案内していただいた旅行会社の方がおっしゃるには、「みなさんの普段のままの稽古に触れるだけで、海外の方には大変刺激になるんですよ」と言われました。 その言葉に大変気が楽になりました。 文化とは、我々の日常に流れるものであり、外から、異文化圏から来る人には、はっきり見える、感じるものであると学んだことを思い出しました。 そういえば、自分自身も他の県や海外に行くと自分が生活している地域との違いをはっきりと感じました。 住んでいる人にとっては、日常ですが、彼らにとっては非日常であり、 我々の普段の稽古に参加する。 我々の普段の稽古を見学する。 我々の普段に接することで、海外から来る人には、大きく感じるものがあると思いました。 ただ、できれば、それを言語化し、表現することが、マネージャー(マネジメントをするもの)には求められるのではないかとも考えました。 我々の普段に流れる文化とは、日本の武道の盛伸、ウチナーのチムグクルとはなにか ・己の向上を目指し、日々、鍛錬をする ・努力することを習慣化する ・高い集中力、過去にとらわれず、未来を恐れず、今、ここ、この一瞬だけを生きる ・知足(足るを知る) ・利害、損得に左右されることなず、お金儲けだけに執着せず、見返りを期待せず、人に与える ・勝ち負けに拘らない ・社会に役立つ人間を育てる機関としての空手道場 ・厳しさ、穏やかさ、和やかさ ・明るく、楽しく、元気が良い ・分け与える、譲り合いの精神 ・ナンクルナイサの精神 ・ミーミークージーせず、なんでも受け入れるチャンプルー文化 ・空手でお金を儲けることを考えない など...