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経営と琉球武道②

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自立して生きるにはどうするか  学生の時分は、興味のあるものに一生懸命打ち込むだけでも許される部分もあるが、いよいよ社会に出て、自立して生きていかなければならない時期が人間には訪れる。  22〜23歳の頃、私も例外なくその問題と向き合わなければならなくなった。教育で社会に貢献したい。教育こそが沖縄をもっと良くするために一番大切なことだ、という情熱と使命感は持っていた。  これまで、空手を通して多くの人たちと関わった中で、目標があってもなくても日々努力を重ねること、成長のための苦難を耐え忍ぶ力、ここぞという時に踏ん張る根性など人として大切なことを伝えることがこれからより必要ではないかと考えていた。  しかし、大学の実習で学校などの組織では難しいと感じた。そこで、空手を手段として人として大切なことを伝えてみようと思ったが、それで生活できるのかという不安は大きかった。  その時に決断のヒントになったのが、「周囲が必要としていることをしていれば、食うには困らない」という言葉であった。祖母の言葉だと記憶しているが定かではない。 必要とされることをしていれば、食うには困らない  「とりあえずやってみよう、もし必要とされれば、生活できるだろうし、必要とされなければまた別の道に行けば良い」と思い切って、銀行から借り入れをし、友人たちの力を借りて道場を開設した。  実際、道場をオープンしてみると、24歳という若い指導者の一生懸命な姿を応援する保護者や、「子ども達の元気な声を毎日楽しみに前をとおっているよ」という近所の高齢者の方々から、たくさんの差し入れをいただき、本当に食うには困らないという体験をすることができた。  のちに経営について学ぶようになり、マーケットインやパーパス経営、ミッション経営などを知ったが、結果、生活できたからこそ良かったが、振り返ってみると経営の基本も知らない若造が勢いで良くできたものだと我ながら感心する。

経営と琉球武道①

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どうすれば自分よりも大きな相手を倒せるのか  私は、9歳のころ、近所にある沖縄伝統空手の道場に通い始めた。伝統の型を中心に日々の稽古は行なっていたが、中学生、高校生の頃は、フルコンタクト空手の大会にも積極的に出場し、上位に入賞することもあった。一時期、高校の空手部にも所属し、全日本空手道連盟形式のインターハイを目指す空手にも触れたが、私の好む空手は、やはり町道場で稽古する空手だということに気づくことができた。  また、好んで読んでいた漫画やアニメ、テレビ番組などの影響もあって、宗教心や哲学、心理学にも興味をもっていた。何歳のころか明確にはわからないが、「宇宙は無から生まれたというが、宇宙の果てまで行ける宇宙船に乗って、宇宙の果てまで行くと無に到達するのだろうか、その時、この体は存在できるのだろうか」と考えるたびに大きな不安と恐怖を感じていた。今思えば、死への恐怖というものを感じていたのかもしれない。  18・19歳の頃、筋力、腕力などの体力のみに頼る空手の限界を感じた。フルコンタクトルールでは、168cm、65kgの体格で、170cm、70kg以上の人と試合をすることはとても大変だと感じるようになっていた。しかし「本などで紹介される武術の達人は、年をとっても相撲取りをとって投げたりするのに、なぜ、今の自分は自分よりも体の大きな相手に全く太刀打ちできないのだろう。」という疑問を持ったのである。 自分がどれだけ頑張ったかは重要ではない。結果が全て!!  そのころ、「拳児」という漫画の影響もあり、中国武術に興味を持つようになった。幸運にも、同じ市内に本場、中国で修行をされた先生が武術館を持っているという紹介をいただき、中国武術に触れることができた。  その時の体験は、これまでの武術にたいする価値観や考え方がひっくり返る自分自身にとってのパラダイムシフトになった。多くの学びや気づきがあったが、一例をあげると「自分の筋肉に力が入っているだけで自己満足になっていないか。相手が倒れるという結果があって武術の技と言える」というようなものである。その時、これまでの自分の稽古は自己満足な稽古だったのだと愕然としたのと同時にこのことに気づけたことに感動したことを覚えている。それからは、どれだけきつい稽古をしてもいくら自分が頑張ったと思っていても、結果がでていなければ意味がないのだと考える...

仕事を管理するのではなく、時間を管理する

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成果が出ない、やるべきことがイメージできない、計画書  経営計画書の作成の場に立ち会うと、成果の出る組織とそうでない組織の相違点として、行動計画の作成のしかたや内容に違いが見られる。  例えば、経営方針として「売上目標◯◯円をかならず達成する」を上げ、そのために重点的に行う活動として「部門の売上目標を必達する」そして、各担当の活動内容として「個人の売上目標を達成する」「データを活用する」「コミュニケーションを密にとる」などの項目を挙げる場合がある、また、教科書に出てきそうな言葉、難しい漢字が多様され、綺麗な言葉が並び、やりたいことで埋め尽くされている時もある。このような内容になっている組織は、計画書は作成するが成果に結びつかないことが多いと感じる。  まず、達成、必達という言葉は、精神論になっており、気持ちは高揚するが具体的に何をするかというイメージが沸いてこない。   「データを活用する」「コミュニケーションを密にとる」なども、もし私たちが、「明日からデータを活用するからよろしく」「これからはしっかりコミュニケーションを密にとってください」と言われても、なにから手をつけて良いかわからない。  計画書は、具体的に行動を起こしやすくし、すぐ実行できることを目的に作成することが肝心だと思われる。  データの活用を行いたいのであれば、どんなデータを集め、分析し、活用するのか、また、それを誰がいつ、どの時間でやるのかなど5W2Hを明確にし、一人一人が計画書を作成した翌日から、即実行できるほど具体的にすることが大切だと考える。 すべてのメンバーが、即実行できるような計画書を作成する  成果が出る組織は、組織の存在意義であるパーパス、自分たちの大切にする信念であるコアバリュー、そして全スタッフが全ての力を尽くして取り組みたいと感じるミッションなどをビジョンとしてまとめ、目標を数字でしっかりと表し、そのためにどこに資源を集中するのかという方針まで、一つのストーリとしてすっきりと一人ひとりの腑に落ちる形になっている。  そのために、経営者は1年かけて次年度の方針を作成するための情報を集め、新年度が始まる2〜3ヶ月前には、まる1日〜2日、長い人では1週間かけてビジョンや方針を練り上げる。 魂を込めて伝え、1年間のスケジュールが明確になるまで落とし込む  そして、魂を込め来年度の方針を...

やるべきことに集中する

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  最も大切なこと、やるべきことをしない人  空手を稽古をしていても、低い姿勢を長時間キープするような足腰を鍛える鍛錬は、ほっておくとほとんどの人が選ばない、見た目のきれいな型や蹴りなど、稽古をしている気分になれる稽古を選ぶことが多い。  また、逆に筋トレなど体を鍛える鍛錬ばかりを行う人もいる。手っ取り早く、練習をした気になれるからである。ゆっくり丁寧に型を行い体の使い方を研究することや同じ技をなんども工夫して繰り返し練習することは敬遠する傾向がある。  子ども達に、「なんの練習をしようか」とたずねると、だいたい「飛び蹴りがしたい」「走り競争が良い」などと楽しい練習を選ぼうとする。  企業においても、経営者やリーダーが会社の目標を達成するために最優先でやって欲しいことを社員、スタッフがやらず、好きなことをやっていることも多々ある。もちろん給料をもらって働いているのだから、役に立つことをしようという思いはあり、無駄なことをやっているとは思っていない、むしろ良いことだと思ってやっている。  新商品の開発やあらたな企画のパンフレット作り、新規顧客の開拓などは気づくと後回しにされている。よく知っているいつもの商品を売ることや今あるパンフレットを印刷して使い回すこと、既存の気心の知れたお客様との会話のほうが慣れていて、楽だからである。  しかし、やりたいこととやるべきことは大きく違う。  やりたいことは自分が個人的に興味のあること、自分が楽しい、良い、善であると感じることである。  チームとしては、能力も意識も高い人の指導を優先して欲しいが、個人的には不器用な人、意識の低いを助けることが大切と感じるため、その指導を優先してしまうなどである。  やるべきことは、会社や組織、チームにとっての目的や目標に対し、果たすべきこと、達成するための行動である。  もう少しで、仕事を覚えてまかせられそうだと思った矢先に退職されてしまうということが続き、社員の定着率が悪くなっていたり、採用活動に力を入れて、募集しても応募してくる人が少ない、毎日気がつくと終業時間を超えて仕事をしていて、周りをみたら他の社員も普通に作業している、業務が多岐にわたり、あれもこれもひとりで何役もこなしているなどのあげればキリがないほどの問題が私たちの周りにはあるが、数々の問題の根本原因を...